有限会社名月堂

磯部鉱泉の効能は「いつどのように評価されたか?」についてお話します。

 

時は1866年 将軍家茂がなくなり、徳川慶喜が将軍となりました。少し前にNHKの大河ドラマでもそんなシーンがありましたが(「ほぼナレ死の家茂」「ああああ家茂さまぁああああ」みたいなことでしたが・・・)次の年明治天皇が即位し大政奉還となるなど歴史が大きく動いたころですね。

明治元年(1868年)江戸が東京となり「入鉄砲と出女」なんて歴史で習った関所も廃止され(ここ上州中山道には坂本宿と松井田宿の間に碓氷の関所がありました。磯部温泉からは車で15分くらいのところに今も関所跡が残っています。そして坂本宿は「ブラタモリ」でタモリさんも歩いたことがありましたね・・・)

明治3年(1870年)今や世界遺産となった群馬県富岡市の富岡製糸場が官営模範製糸場と決定されたりしております。(操業は明治5年から)それらがあって今があるということを実感できる数々の歴史的事象があったわけですが・・・。

 

明治6年(1873年)下磯部村の医師が磯部鉱泉の効果を実験して非常に高く評価し、県庁に上申すると県衛生局の方が派遣され、さらに調査し、その結果良質な鉱泉であると認められたそうです。ドイツのカルルスバット鉱泉と同質のものと分析され、従来の浴用のみではなく飲用に特に優れた効果がある鉱泉ということになったそうです。

このことにより磯部温泉の新たな躍進をどのように企画していこうかと先人たちは考えたというわけです。「磯部せんべい誕生」にちょっと近づいてきたかな?

ということで次回は明治の維新政府がだんだん軌道にのってきたころの磯部温泉の話にいたします。

 

2021年07月09日