有限会社名月堂

明治の御代になる少し前、横浜が開港され貿易が盛んになったころのことです。
そのころの群馬では特産品としての生糸の需要が高まり、生産農家では以前にもまして養蚕製糸業が盛んになったようです。その生産をあげるための労働はより厳しくなり「蚕があがるとげっそり痩せる」と例えられたほどだったそうです。

温泉はますます健康回復のかなめとして必要とされ、湯治は10日短くても7,8日だったそうです。

一仕事終えた後の休息に温泉が「最適のアイテム」ということは今とちっとも変らないことのようですね。

このころはまだ温泉の内服は認められていなかったので、磯部せんべいの誕生はもう少し後のことになるのですが・・・
生糸以外の特産品「小麦粉」と「温泉水」とがどのように出会って磯部せんべいになってゆくのかはまた次にお話しします。

2021年06月15日